



常盤八坂神社御祭神 素盞雄命
例祭日 旧六月十四日
寛文六年(1666)八月十七日、津軽藩御家中、古川仁佐衛門が千手観音を祀り、
福島観音堂を造って産土神とし(脇侍牛頭天王)、その加護により千七百石の田地を得た
旧来牛頭天王を祀ってきたため、明治二年の神仏分離の際に御祭神素盞雄命とし八坂神社に改称
末社胸肩神社
南津軽郡藤崎町


大山津見神社御祭神 大山津見神
例祭日
縁日 十二日
明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により仏式が廃され
明治六年(1873)に大山津見神を祭神とする大山津見神社(山神宮)に改称
廃仏希釈の風潮が静まると十五番札所として再興され昭和四十五年(1970)に観音堂が再建された
薄市観音堂御本尊 千手観世音菩薩
縁日 毎月十七日
薄市観音堂は北津軽郡中泊町薄市薄市山に境内を構えている御堂
薄市観音堂の創建は元禄元年(1688)薄市山山頂に千手観音安置したのが始まりと伝えられている
寛延四年(1751)の記録には既に津軽三十三観音霊場十五番札所になっていた事が記されている
その後、参拝が容易で災害に安全な現在地に移され寛政年間(1789~1801)には飛竜大権現が
勧請された事で神仏混合し、飛竜宮と称されるようになる
境内には数多くの鳥居や三十三観音の石仏などが往時の札所巡りが残されている
津軽三十三観音霊場十五番札所
北津軽郡中泊町薄市玉清水

鹿嶋神社御祭神 建御雷之男神、譽田別命
例祭日 旧八月三日
貞享四年検地水帳に毘沙門堂地がみえ、地内東中久保の毘沙門堂で、明治初年に鹿嶋神社と改称
旧毘沙門村、江戸期の毘沙門村は津軽郡田舎庄のうち弘前藩領
享和初年から文政年間の間に成立した新開村として 下毘沙門村、金木組 と見えており、
この頃当村から下毘沙門村が分村したらしい
明治四年弘前県を経て青森県に所属、同十一年北津軽部に属す
明治初年の戸数八十六、うち支村中崎十一戸
明治七年の県管内村名簿には下毘沙門村が一村として明治初期には当村に合併されたらしい
五所川原市毘沙門東中久保
posted by yoshida at 21:55|
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